2005年07月16日

1998年の京都旅行 3日目

今日は高雄へ行きます。天気は快晴で初夏の日射しです。

秋に京都を訪れることが多かった私たちですが高雄は、はじめてです。
どのガイドブックをみても「紅葉がサイコー」と書いてあるのですが
人もすごいんだろうなぁと躊躇していた場所でした。人の少ないと予想される春に
一度行ってみようということで高雄行きを決めました。

バスに揺られて約40分ほどで高雄へ到着しました。

高雄バス停でバスを降りると、北の方の山がピンク色になってる!
山ツツジが満開でした。予想通り人は少なくて、妹と二人ニヤニヤする。

yamatutugi.jpg

バス停から、元来た道を戻るように歩くと「高雄山神護寺」と書かれた石碑が
旅館の横に見えて来ます。その碑の横の階段を下ります。
下りながら空を見上げると、目に映る新緑が眩しいくらい鮮やかです。
まるで緑のトンネルみたいです。
緑のトンネルをどんどん下っていくとしだいに川のせせらぎの音が
聞こえてきました。人の姿はなくておしゃべりをやめてしまうと風に揺れる
木の音と川の音が聞こえてくるだけ。
秋の観光シーズンだけ営業しているらしい売店が寂し気に建って
いるし、なんだか心細くなってきたところで高雄橋に到着。
ここでハイキング姿の人たちに会い、ほっとしました。

高雄橋を渡ったら目の前に上がる階段出現。地図を広げてみると
神護寺までは、今まできた道の3倍くらいまだあります。しかも今度は
登りだ…。めげずに(いや、少しめげていたかな。)登っていくと、道の端に
ぽっんとお地蔵さまが木漏れ日をあびてたっていました。手をあわせて先に
進むと岩のてっぺんが硯のようになっているその名もズバリ「硯石」が
見えてきます。そこからの山の展望はなかなかです。ちょうど高雄バス停の
あたりが見えるのですが、私たちが感動した山ツツジの山もよく見えるんです。

この硯石を過ぎると正面に神護寺の仁王門(楼門)が石段の上に風情ある
姿を現わします。

神護寺は、和気清麿呂が天長元年(824)に河内の神願寺とこの地にあった
高雄山寺とを合併させたという古刹。大同4年(809)から14年間、唐から
帰朝したばかりの弘法大師が住持を務めた寺として有名その後、荒廃したが
平安末期に文覚上人が再興した。

私は千葉県で生まれ育ったのですが、千葉県で(関東で)
「初詣の人気ベスト3」に入るお寺に成田山新勝寺があります。
成田山新勝寺は成田不動として親しまれていますが、ここのお不動様は
天慶2(939)に将門調伏のため、京都の神護寺護摩堂にあった不動明王を
お借りしたものだそうです。お不動様は将門調伏におおいに力を発揮されたが、
「もう、京都へは帰りたくない」と、仰ってそれで仕方なく(?)新勝寺は
神護寺にお不動様が成田に留まられことをお願いして、今まで毎年その
借り代を払っているそうです。
なぜ「帰りたくない」と仰ったのでしょうか?こんなに静かでいいところ
なのに。現在の成田山新勝寺は上空をジャンボジェット機がごうごうと飛び
世界各国から来た旅人の行き交うエネルギッシュな町にあります。
もうそろそろ神護寺に帰りたくなったのでは?

和気清麿呂は臣下であり僧侶である道鏡(?ー772)が身分をわきまえず皇位に
つこうとした、皇位横領事件を未然に防いだ忠臣として明治以来
歴史教科書のなかの有名人。地方豪族の出身で故里は備前国藤野郡。
彼より先に朝廷に出仕していた姉「広虫」をたよって平城京にでました。
性格は温厚で人望が厚く、地方豪族の出身ではきわめて珍しい例だが
最終的には参議(宗相とも。大臣、納言につぐ重職)・従三位まで昇進する。

仁王門横で受け付けをして門を潜ると砂利を敷き詰めた境内が
目の前に広がります。左にきれいな門があり美しい枝垂れ桜が咲いています。
その桜の下で三脚をたてたカメラマンが写真を撮っているのですが
長時間その場所を占領しているんです。何人か撮影が終わるのを待っている
ようですが動いてくれません。少しの間動いてくれないかと交渉したのですが
無視され、けんかになるのも嫌なのであきらめてその場を去りました。

門を背に歩を進めると、五大堂と昆沙門堂が杉の木の間に見えてきます
その間を通り抜け右手の階段を上ると、正面に朱塗りの金堂が
堂々とした姿でたっています。

ひんやりする堂内は正面に本尊の薬師如来、両脇に日光、月光菩薩が
安置されています。堂内には他にも四天王と12神将が置かれていました。

金堂を後にして、右手に多宝塔を仰ぎ見ながら地蔵院へむかいます。
地蔵院までの道は林のなかの道で、大きなカエデの木が何本もあり
小さな川も流れていて山の小道といったかんじ。
桜の花びらが雪のように舞っているところもあって、静かで
気持ちが落ち着きます。
木立をふっと抜けると展望台があり、雄大な山の景色がぱーっと
広がります。眼下には清滝川の流れが見えて、谷を渡ってくる風が
気持ち良くて、素晴らしいです。
ここで「かわらけ投げ」をしました。直径5、6センチのお皿を
谷底めがけて投げるのです。自分の厄を投げることで払えるそうです。
フリスビーを投げるように投げたけど、なかなか遠くへは飛びませんでした。

あとは元来た道を戻り神護寺を後にしました。
先ほどの「硯石」の向かいにある硯石亭で休憩。名物もみじ餅を食す。

再び高雄橋を渡り北のほうへ歩きます。灌頂橋を渡ると目指す西明寺の裏参道に入れるのですが、私たちは表からはいりたかったので橋を渡らずに右に折れ川沿いを歩きます。緩やかなカーブを過ぎると槙ノ尾橋が見えて来ます。

この日は初夏のような天気。その陽気に誘われた人たちが河原でお弁当を広げていたり、釣りをしたり、水遊びをしたりしています。涼しそうでとってもうらやましかったです。

kawa.jpg

西明寺は天長9年(832)に弘法大師の弟子智泉大徳が神護寺の別院として創建。
建治年間(1275-78)に自性上人が中興したお寺です。
拝観できるのは秋のみのようなので境内を散策します。
手の行き届いた庭はかわいくてきれいでした。本堂の背後はツツジの山で
春色だし。

そして、高山寺へ向かいます。

高山寺までの道、周山街道はなかなかの交通量です。

mado.jpg

街道の両側の民家は山の急な斜面に添うように建ち、道路から玄関までのアプローチが階段になっている家が多いようにおもいました。
その階段に腰をおろしておしゃべりに興じるお婆ちゃんをみて「私たちってあれくらいの年になっても二人で元気に京都を旅していそうだよね。」「きんさん、ぎんさんみたいに」その頃京都はどんな京都になっているのでしょうか…。

白雲橋を渡り、カーブを勢いよく曲がってくる車に怒り半分、怯え半分の心境で
歩いていくと高山寺の入り口が見えて来ました。

高山寺は宝亀5年(774)創建の神願寺都賀尾坊がはじまり。のちに荒廃したが、建永元年(1206)に名僧明恵上人が再興、高山寺と改められた。
後鳥羽上皇の学問所を移して明恵上人が住房とした石水院は住宅建築の傑作といわれています。

kouzangi.jpg

参道は途中石灯籠のあたりから菱形の石畳になっています。この菱形の石畳は真直ぐに山に吸い込まれるように奥に続いています。石畳の上を進むと杉の木に囲まれるようになり、幽玄な神秘的な雰囲気です。杉の木の間から日が所々差し込んでいて、深呼吸すると水にぬれた木の匂いが身体じゅうに染み込んでくるようです。

苔むした階段を上ると、質素な金堂が見えて来て、ちょっと歩くと明恵上人
御廟開山堂、そして次はいよいよ石水院を拝観します。

靴をぬいで、受け付けをして廊下をひたひた歩いていくと、
かわいい善財童子に会えます。その先の南側は座敷の部屋を囲むように
廊下(縁側)があります。その縁側と座敷の部屋は障子や襖とかで仕切られて
なくて開放的な感じです。自然との距離が近くていいなぁと思いました。

長押の上には後鳥羽上皇の勅願「日出先照高山之寺」があり、西側には
鉄斎の額「石水院」があり、鳥獣戯画の複製あり、運慶作の子犬があります。

毛氈の敷かれた縁側に腰をおろすと、遠くに淡い緑の山が見え
近くではカエデの木が風に揺られています。
そうとう貴重なものと思われる床の間の掛け軸が、カエデを揺らした風に
揺らされて、カタカタ音をたてています。
私たち以外、人の姿はありません。周山街道を走る車の音が聞こえてきて、
静かとはいえないけど、ぽかぽかの縁側でうとうとする猫?気分です。

さて、本当にうとうとしてしまいそうなのでそろそろ石水院を後にします。

石水院の出入り口の向かいに栂尾茶園があります。
以下の説明は「エキゾチック京都・左方郁子(著)」を参考にしました。

12世紀の末、鎌倉時代の臨済の禅僧栄西は2度入宗しているが、その当時、宗で流行っていた茶と喫茶の法を日本に持ち帰った。

明恵は禅要を究めるために、建仁寺を開創した栄西を訪ねたことが機縁となり、栄西から明恵上人に五粒の茶の実が贈られました。五粒の茶の実は、この栂尾の地にまかれ、大切に育てられやがて栂尾茶として珍重されるようになりました。この栂尾茶はのちに宇治に移植され、喫茶の風習が広まるにつれ、大和、伊賀、駿河などでも栽培されるようになるのです。つまりこの石水院の横にある茶畑が日本のお茶の発祥の地なのです。

saiko.jpg

私の頭に京都に来る途中、新幹線の車窓から見た、雨にぬれた静岡の茶畑の風景がよみがえりました。あの、お茶が……。

茶粒が入れられた壷は「漢柿蔕茶入」(アヤノカキヘタ)として今も高山寺に
伝えられているそうです。
栂尾以外で栽培される茶を「非茶」というのに対して「栂尾茶」は、
「本茶」として最高位におかれました。
「闘茶」とは本来「本茶」と「非茶」の味を見分ける「本非茶勝負」の
ことであったそうです。

茶畑を後にして、くねくねっとした階段を降りて周山街道にでます。
そして「とが乃茶屋」で遅い昼食をとります。
清滝川べりの座敷で川を眺めながらの食事でした。
観光はこれでおしまいです。今日はこれから河原町で買い物に走ります。

JRバスで京都市街に戻ります。が、渋滞にはまりました。
妹の予想では、「仁和寺で混んでいるんじゃない?そこを過ぎれば流れるよ」
その通り、仁和寺を過ぎたらバスは快調に走りだしました。

四条大宮で下車、地下鉄に乗り換え河原町へ。これから
楽しみにしていた買い物の時間です。
時刻は午後の3:00。ゆっくり買い物ができそうです

私は雑貨屋さんが大好き。何軒も雑貨屋さんをみてまわりました。
何を買ったかというと、レシピカードとか試験管みたいな
一輪挿しとか絵はがき、お香、ぽち袋、あと、え~と京都関連の本とか
くまの形の卓上の塩、胡椒入れも買った。その他多数。楽しかった。
でも、こうして買ったものを書いてみると、たいした物は
買ってないですね(笑)

買い物の後、食事をして、おとなしくホテルに帰りました。
posted by hiromi at 00:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 1998年の京都旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 高山寺山号 = 栂尾山|宗派 = 真言宗御室派系単立|本尊 = 釈迦如来|創建年 = 1.伝・宝亀5年(774年)2.建永元年(1206年)|開基 = 1.伝・光仁天皇(勅願)2.明恵|別称 = |文..
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Tracked: 2007-07-29 02:39
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